与論島旅行(奄美諸島最南端)
会社の創業記念日の休みで3連休となったので、与論島に行ってきました。
与論島は鹿児島県奄美諸島の最南、沖縄本島の北側にある小さめの島です。
観光目的で「ヨロンとう」を名乗ったりしてややこしいのですが、正式名称は「よろんじま」のようです。
日本の大きな島に行って見るシリーズで、奄美大島、徳之島に行った際、本土とも違う、そして沖縄とも違う奄美の自然、歴史、文化に惹かれ、喜界島にも行って見ました。
そこで次は与論島です。
もう一つ。
長崎県の島原半島を旅行したときに口之津という小さな港町に立ち寄りました。
ここは今でこそひなびていますが、興味深い歴史を持つところで、かつては三池炭鉱からの石炭を積み替える港として賑わったところです。
昔は浅い有明海を大きな船で運ぶことができなかったので、小さな船から大きな船にここで積み替えていたのです。
そのために必要な労働力として「与論島」の人達が来ていて、与論長屋と呼ばれた建物に集住していた、という話でした。
いきなり出てきた「与論島」というキーワードが記憶に残っていました。
さて、珍しく前日遅くまで仕事をしてふらふらのところ、羽田空港へ。
疲れていたせいか、行く道スマートフォンを道路に落としてガラスにひびをいれてしまいました・・・。
普段国内旅行では通常荷物を機内に持ち込んでしまうのですが、今回はちょっと釣り道具を入れてみたことと、離島線の小さな飛行機に乗り換えるので、荷物を預けました。
奄美諸島の最南端なので、那覇まで行って折り返します。
那覇線の飛行機は最新鋭のA350-900。普通の週末なのに満席。さすが沖縄。

で、那覇空港って乗り換えるときにまともに座って食事をできる場所がないんですよね。
弁当を買って食べ、今度は琉球エアコミューターの小型の飛行機DHC8-Q400ccで出発。
琉球エアコミューターの唯一の県外就航地が与論とのこと。
与論空港、公共交通機関がないので、宿の人に迎えに来てもらいました。
那覇空港は雨でしたが、晴れ。
初日はサザンクロスセンターという博物館まで行きました。
ここは比較的平らな与論島の中でも高台にあり、地主神社(とこひらじんじゃ)、琴平神社が隣接していて、鳥居をくぐったところにあります。
自然、産業、歴史、文化の展示が充実しています。
まずは最上階の展望台へ。
この展望台は素晴らしいです。冷房がガンガンに効いていて。
で、小さな与論島が一望でき、沖縄島がかなり近くに見えます。

辺戸岬まで23km、SUPで渡る大会があるとか。
反対側には奄美諸島の沖永良部島が見えました。
このあたりは北山王国の与論城跡だったとのこと。
与論島はグスク文化の北限とのことです。
沖縄近い。
与論島は珊瑚礁に囲まれているものの、1998年頃に高水温でサンゴは全滅、なかなか復活しなかったそう。
漁業は60名ほどしか従事しておらず、出荷手段が限られている。
与論の文化は、「墓の形が本土式であること以外は北部沖縄と同じ」と断言されていました。
言語も特殊だし、島民は本名以外にヤーナーという別名を持っているとか、「浜下り」といって生まれた赤ちゃんを海水につける行事がある。
十五夜踊という行事もあって、大和と琉球の文化を取り入れています。
一番組の大和は狂言、てるてる坊主のようなお面で、末広がりというものを京都に買いに行かせ、本当は扇子のことなのにだまされて破れた傘を買ってきて、大名に叱られるという話。

二番組は琉球踊りで覆面して踊ります。
全部男性しか参加しないとのこと。
また、与論島はもともと風葬で、その後は沖縄風の土葬と洗骨。
火葬場はなんと2003年に初めてできたとのこと。
そして、口之津への移住も記されていましたた。
なかなか皆移住しないので上野應介戸長が娘婿を代表にし、最後は自分の町長を辞して口之津へ。
口之津に行ってみたところ、与論長屋のひどい扱いに激怒して待遇改善させたとのこと。
センター外に碑があります。

地主神社(とこぬしじんじゃ)は琴平神社の横。
なぜか土俵があるが、これは古い話ではないそう。

2日目はレンタカーを借りたので、島内一周です。
与論民俗村に行ったところ、バッタが多いこと。
小雨で大発生したらしく、この日はどこに行ってもバッタでした。

珊瑚礁隆起の島なので赤崎鍾乳洞を見学。
あとはビーチ。
珊瑚礁に囲まれた与論島はとにかくビーチ、マリンスポーツの観光地のようです。
魚は見るより釣った方がいいよな派としてはちょっと手持ち無沙汰。
一応、大金久海岸で初めてシーカヤックなるものをちょっとだけやってみました。

ただ、いつものように天気が悪く、風もあったせいか観光客が少なく、何だか海が貸しきりのようでした。
本当は沖にときたま現れる百合ヶ浜に行く、というのが与論島王道の観光のところ、潮の関係で出現しない日だったということもあるかもしれません。
赤崎海岸(アーサキ)、大金久海岸はともかく、皆田海岸、寺崎海岸・トゥマイ、宇勝海岸(ウァーチ)となると本当にひっそりとしていて人気がありませんでした。
海辺には「拾い箱」というものがあり、これは自分のゴミを捨てるのではなく、拾ったゴミを入れるものらしい。


外周道路、内周道路と一周してみて、舵引き丘(ハジビキパンタ)へ。
ここも与論城跡のサザンクロスセンターと同様、とても眺めがよく三方が一望できました。
まあ、徳之島、喜界島と同じく、サトウキビだらけの景色です。
昔は稲作や畑作も行われていたそうですが。

夕食後軽く飲みましたが、店は2400位までやっているし、日曜日なのに飲んでいる人は陽気だし、南の島です。
モリンガ明太というものを食べたらたらふくになりました。
ということで一回りしてしまったので最後の日はやることがなく、与論港で釣りをしてみましたが釣れず。
サヨリが泳いでいるのが見えたほか、ウミガメが5回くらい見られました。

一番の中心街、夕食や飲みでお世話になった茶花で買い物。

与論空港から今度はATR42-600で那覇空港まで戻り、B767-300ERで東京に戻りました。
今回は4回、別々の飛行機でした。
さて、奄美諸島で残るのは沖永良部島ですね。
(加計呂麻島も行っていないけれど)
与論島は鹿児島県奄美諸島の最南、沖縄本島の北側にある小さめの島です。
観光目的で「ヨロンとう」を名乗ったりしてややこしいのですが、正式名称は「よろんじま」のようです。
日本の大きな島に行って見るシリーズで、奄美大島、徳之島に行った際、本土とも違う、そして沖縄とも違う奄美の自然、歴史、文化に惹かれ、喜界島にも行って見ました。
そこで次は与論島です。
もう一つ。
長崎県の島原半島を旅行したときに口之津という小さな港町に立ち寄りました。
ここは今でこそひなびていますが、興味深い歴史を持つところで、かつては三池炭鉱からの石炭を積み替える港として賑わったところです。
昔は浅い有明海を大きな船で運ぶことができなかったので、小さな船から大きな船にここで積み替えていたのです。
そのために必要な労働力として「与論島」の人達が来ていて、与論長屋と呼ばれた建物に集住していた、という話でした。
いきなり出てきた「与論島」というキーワードが記憶に残っていました。
さて、珍しく前日遅くまで仕事をしてふらふらのところ、羽田空港へ。
疲れていたせいか、行く道スマートフォンを道路に落としてガラスにひびをいれてしまいました・・・。
普段国内旅行では通常荷物を機内に持ち込んでしまうのですが、今回はちょっと釣り道具を入れてみたことと、離島線の小さな飛行機に乗り換えるので、荷物を預けました。
奄美諸島の最南端なので、那覇まで行って折り返します。
那覇線の飛行機は最新鋭のA350-900。普通の週末なのに満席。さすが沖縄。
で、那覇空港って乗り換えるときにまともに座って食事をできる場所がないんですよね。
弁当を買って食べ、今度は琉球エアコミューターの小型の飛行機DHC8-Q400ccで出発。
琉球エアコミューターの唯一の県外就航地が与論とのこと。
与論空港、公共交通機関がないので、宿の人に迎えに来てもらいました。
那覇空港は雨でしたが、晴れ。
初日はサザンクロスセンターという博物館まで行きました。
ここは比較的平らな与論島の中でも高台にあり、地主神社(とこひらじんじゃ)、琴平神社が隣接していて、鳥居をくぐったところにあります。
自然、産業、歴史、文化の展示が充実しています。
まずは最上階の展望台へ。
この展望台は素晴らしいです。冷房がガンガンに効いていて。
で、小さな与論島が一望でき、沖縄島がかなり近くに見えます。
辺戸岬まで23km、SUPで渡る大会があるとか。
反対側には奄美諸島の沖永良部島が見えました。
このあたりは北山王国の与論城跡だったとのこと。
与論島はグスク文化の北限とのことです。
沖縄近い。
与論島は珊瑚礁に囲まれているものの、1998年頃に高水温でサンゴは全滅、なかなか復活しなかったそう。
漁業は60名ほどしか従事しておらず、出荷手段が限られている。
与論の文化は、「墓の形が本土式であること以外は北部沖縄と同じ」と断言されていました。
言語も特殊だし、島民は本名以外にヤーナーという別名を持っているとか、「浜下り」といって生まれた赤ちゃんを海水につける行事がある。
十五夜踊という行事もあって、大和と琉球の文化を取り入れています。
一番組の大和は狂言、てるてる坊主のようなお面で、末広がりというものを京都に買いに行かせ、本当は扇子のことなのにだまされて破れた傘を買ってきて、大名に叱られるという話。
二番組は琉球踊りで覆面して踊ります。
全部男性しか参加しないとのこと。
また、与論島はもともと風葬で、その後は沖縄風の土葬と洗骨。
火葬場はなんと2003年に初めてできたとのこと。
そして、口之津への移住も記されていましたた。
なかなか皆移住しないので上野應介戸長が娘婿を代表にし、最後は自分の町長を辞して口之津へ。
口之津に行ってみたところ、与論長屋のひどい扱いに激怒して待遇改善させたとのこと。
センター外に碑があります。
地主神社(とこぬしじんじゃ)は琴平神社の横。
なぜか土俵があるが、これは古い話ではないそう。
2日目はレンタカーを借りたので、島内一周です。
与論民俗村に行ったところ、バッタが多いこと。
小雨で大発生したらしく、この日はどこに行ってもバッタでした。
珊瑚礁隆起の島なので赤崎鍾乳洞を見学。
あとはビーチ。
珊瑚礁に囲まれた与論島はとにかくビーチ、マリンスポーツの観光地のようです。
魚は見るより釣った方がいいよな派としてはちょっと手持ち無沙汰。
一応、大金久海岸で初めてシーカヤックなるものをちょっとだけやってみました。
ただ、いつものように天気が悪く、風もあったせいか観光客が少なく、何だか海が貸しきりのようでした。
本当は沖にときたま現れる百合ヶ浜に行く、というのが与論島王道の観光のところ、潮の関係で出現しない日だったということもあるかもしれません。
赤崎海岸(アーサキ)、大金久海岸はともかく、皆田海岸、寺崎海岸・トゥマイ、宇勝海岸(ウァーチ)となると本当にひっそりとしていて人気がありませんでした。
海辺には「拾い箱」というものがあり、これは自分のゴミを捨てるのではなく、拾ったゴミを入れるものらしい。
外周道路、内周道路と一周してみて、舵引き丘(ハジビキパンタ)へ。
ここも与論城跡のサザンクロスセンターと同様、とても眺めがよく三方が一望できました。
まあ、徳之島、喜界島と同じく、サトウキビだらけの景色です。
昔は稲作や畑作も行われていたそうですが。
夕食後軽く飲みましたが、店は2400位までやっているし、日曜日なのに飲んでいる人は陽気だし、南の島です。
モリンガ明太というものを食べたらたらふくになりました。
ということで一回りしてしまったので最後の日はやることがなく、与論港で釣りをしてみましたが釣れず。
サヨリが泳いでいるのが見えたほか、ウミガメが5回くらい見られました。
一番の中心街、夕食や飲みでお世話になった茶花で買い物。
与論空港から今度はATR42-600で那覇空港まで戻り、B767-300ERで東京に戻りました。
今回は4回、別々の飛行機でした。
さて、奄美諸島で残るのは沖永良部島ですね。
(加計呂麻島も行っていないけれど)
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